作文

世界選手権に行くにあたり、作文を書く必要があります。

頑張るぞ!

作文できました。

実は保護者の方に理解していただく必要があるので、文章を作っていました。

これで伝わりますかねぇ。

その中身

 先日の学級懇談会でもお話しましたが、2月28日(水)〜3月10日(土)の日程でスキーアーチェリーの世界選手権に出場するため、ロシアに行かせていただきたいと考えています。
学校をあけることが心配でしたが、代わりに○○先生が入ってくださることになりました。その間の授業についてはしっかりと打ち合わせをし、計画を立てておきますのでご理解をお願いします。
遠征先のロシアでの様子を写真に収めたり、可能であればメールやファックスでその日の様子をお伝えしたりしようと考えています。帰ってきてからは写真や記録してきたことを使って報告をしたいと考えています。

資料
<スキーアーチェリーとの出会いと世界選手権出場までの経緯>
 私が教員を目指したのは、スキーを子ども達に教えたいと思ったことがきっかけです。私は大学までずっとスキーを続けてきました。その経験をわたしの中にとどめておかずに子ども達に伝えていきたいと思っています。

私は中学生のときにスキー部に入部し、3年間スキーをしました。その後、本格的にスキーをしたくて体育科のある高校に進みました。そこでは10月まで学校で勉強し、11月からは北海道へ合宿に行ったり、各地で大会に出場したりする日々を3年間送りました。将来はオリンピックに出場できる選手になりたいと考えていました。しかし、3年間でインターハイには1度も出場できず、満足する成績を残すことはできませんでした。
悔しかった思いを晴らしたいと思ったこともあり、スキー部がある大学に進みました。そこでは4年間スキーに打ち込みました。大学では体育の勉強をしながらトレーニングに励みました。1日に少なくとも2時間以上は走り続け、多い日には4時間以上走り続けた日もありました。合宿では1週間に25時間練習しようと決め、1日4時間弱のトレーニングを1週間続けたときもありました。これほどスキーに打ち込める時期は一生のうちに今しかないと思い、これ以上ないほど練習して大会に臨みました。しかし4年間満足のいく成績を残すことはできませんでした。
 このままではあきらめきれず、大学を卒業してからも競技を続けたいと考えていました。しかしながら企業にスポンサーになってもらえるほどの成績がありませんでした。教員採用試験にも合格できなかったので、実家でアルバイトをしながらトレーニングを続けようと本気で考え始めていました。

 そんなときに下伊那の中学校から講師の依頼が来ました。私はどうしても競技を続けたかったので雪の無い下伊那へ行くことはとても不安でした。しかし、今まで与えられたチャンスを成績に結びつけることができなかったことを考えると、この先、無理をして競技を続けることよりも社会に出て働くことの方がいいと考えるようになりました。

 この年の3月にスキーアーチェリーの全日本選手権に初めて出場しました。数年前から友人がスキーアーチェリーに取り組んでおり、興味を持っていました。この種目はまだ歴史が浅く、競技人口も多くありません。このとき、アーチェリーはほとんど当たりませんでしたが、スキーの走力を生かして2位に入賞し、次の年の世界選手権に出場する資格を得ることができました。

 下伊那に行ってから、夏場は陸上を中心にトレーニングをし、夏には長野県縦断駅伝にも出場することができました。また、家の中に畳を置いて、そこに向かってアーチェリーを射つ練習をしました。冬になってからは幸運にも車で30分のところに駒ヶ根高原スキー場があったので学校が終わってから毎日通ってゲレンデを登ることができました。はじめはスキーを続けることは難しいと考えていましたが、スキー場のおかげでトレーニングをすることができました。

世界選手権に出場する権利は持っていたものの、2週間近くも学校を休まなければならず、行っていいものかずっと不安に思っていました。しかし、同じ学校の先生に相談したところ、「浦野先生にしかできないことだから。」「こっちはなんとかするから行っておいで。」と言ってくださいました。私は、私にしか出来ないことであると同時に、今しかできないことなので、どうしても世界選手権には出場したいと考えていました。年度末の忙しい時期に快く私を送り出してくれた先生方に感謝ていますし、このことを一生忘れることはありません。この一言が無ければ今の私はありません。

世界選手権出発前には勤務先の中学校で、給食の時間にテレビ放送で壮行会をしていただきました。また、ヨーロッパについてから、ほぼ毎日メールやファックスでその日の様子を学校に伝えました。この頃、通信教育で小学校の免許状を取るために隣の小学校に教育実習に行っていたので、その小学校にも同様にメールを送っていました。

ヨーロッパに滞在中はデジタルカメラで出来るだけ多くの写真を撮り、ビデオカメラで試合の様子やドイツの村の風景を撮影してきました。帰国後は報告会を計画していただき、全校の前で撮ってきたビデオを見せたり、実際にアーチェリーを射ったりしました。また、ヨーロッパ滞在中の日記に写真をつけてまとめた冊子を作り、学校の中に掲示させていただきました。生徒達は報告会でビデオを見て、ヨーロッパに対して興味がわいたようです。

このころから私は教員という立場にありながらスキーアーチェリーの世界選手権に出場することに大きな意味を感じるようになりました。この経験を自分だけの体験にしてはいけないと思ったからです。自分自身が競技をすることだけでなく、自分の見たこと、感じたことを生徒達に伝えて行きたいと思いました。そうすることで生徒達に何かを感じてほしいと思っています。その何かとは外国に目を向けることや、何事にも精一杯取り組むことが大事だということ、周りの人に支えられて生きているということです。

昨年は飯山の高校に勤務し、同じように悩みましたが、周りの人たちの支えがあり、ワールドカップに出場させてもらうことができました。練習環境の良い飯山に住んでいた去年が最大のチャンスだと考え、時間をやりくりしてスキーもアーチェリーもトレーニングを重ねました。その成果が現れ、ご存知のようにワールドカップで2位になることができ、全日本選手権でも優勝することができました。

再び南信の駒ヶ根市に勤務になった今年もここまでトレーニングを積んできました。夏場は陸上を中心にトレーニングをし、上伊那チームで長野県縦断駅伝にも出場させていただきました。冬になってからは毎日のように駒ヶ根高原スキー場へ通っています。1週間に一度ですが、駒ヶ根市弓道場でアーチェリーのトレーニングも行ってきました。



※長文失礼しました。