信濃毎日新聞購入


毎年恒例だが、長野県縦断駅伝の各チームの紹介が掲載された。

各チームのメンバー、記事を見ていると気持ちが高ぶる。



思い起こせば、初出場は7年前、大学4年の頃だった。

飯山下水内チームの一員として当時の最長区間を任され、何がなんだかわからないまま出走。

区間最下位。

ある意味鮮烈なデビューだった。





そして次の年、飯田下伊那のユニフォームを着ていた。

無欲で掴んだ飯田下伊那のメンバー入り。

当時の7区(現8区)を走った。

しかし、区間10位と振るわなかった。




翌年は飯山下水内からの出場。

自分が声をかけ、練習会をやり始め、じわじわと輪を拡大しながら望んだ。

初日は当時の7区、2日目は当時の19区(現20区)を走った。

自分の成績もあまり良くなかったが、チームの成績が良くなかったことの方が悔しく、記憶に残っている。


その翌年は上伊那のユニフォームを着ていた。

補欠として登録された自分だったが、チーム事情で出走させてもらえることになった。

当時の10区(現11区)を任され、区間3位。

チームは準優勝。

銀メダルをもらい、自分としては満足しかけていたが、反省会(慰労会)はチンヤリムード。

「こんな成績で満足して欲しくない。」と言われた事が忘れられない。

そう、上伊那では優勝以外は負け。

区間賞以外の選手は認められない。



その後の3年間は上伊那チームのメンバーに挑戦し続けたが、選手選考ではじき返された。




さて

今年は4年ぶりに縦断駅伝を走らせていただける。

厳しい区間ということは百も承知だが、自分に任されたことは、ライバルチームとの差を最小限に抑えること。

自分のできる精一杯の走りをするだけのことだ。


注目

新聞にはメンバーも記載されていた。

インサイドアウトのメンバーが気になるが、やはり飯山栄チームに目が行く。

中学時代からのチームメイトが名を連ねているのを見ると、自分も一緒に走りたくなる。

チームは違うが「目指せ全中心は一つ!」精一杯駆け抜けてみよー!

みんなでチームが組める日を見据えながら…。