長野県縦断駅伝を振り返って
11月20、21日に開催された長野県縦断駅伝は初日2位の長野市が初日1位の上田東御小県を逆転し、優勝。
その差わずか11秒。
そのドラマの影で、私は大町北安曇チームの20区として出走させていただいた。
レース
私が任された20区(17km)は今大会最長区間。
各チームのエース級の選手が集う激戦区間だ。
正直厳しい戦いになることが予想され、不安を感じていた。
4年前にも同じ区間を走った事があり、そのときは60分07秒。(15チーム中区間15位)
当時はチーム事情で1日目も出走。
疲れを残したまま2日目のこの区間を走っての結果だった。
今年はこの区間1本。
最低でも当時の自分は越えなくてはいけない。
第一目標が決まった。
第2目標
チームが私に課した設定タイムは58分18秒。
最近の大会やタイムトライアルの結果を加味し、駅伝部長が設定してくださった。
ベストな走りをすれば達成できるかもしれない具体的な目標。
この設定タイムを越えること1点に集中して走ることに決めた。
このとき不安は吹き飛んだ。
駅伝においては相手を意識することも大切だが、今回は自分の走りをするだけ。
もう一つの思い
20区のスタート地点は駒ヶ根市。
今年の3月まで4年間暮らしていた思い出の地だ。
3月まで住んでいたところから1.5kmほどのところに中継地点がある。
ゴールは松川町。
こちらも私が社会人生活をスタートさせた思い出の地。
一年間の生活だったが、強烈に印象に残っている。
出走
私の区間に到達する前に繰り上げスタートが行われた関係で、見た目の順位では7〜8番手あたりで襷を受けた。
ちょうど中野下高井のREOくんと共に走り始めた。
彼の方が走力が上なので、できるところまでついていくことにした。
後ろから実力者達がやってきてはわれわれをかわして行った。
彼らについていくことはオーバーペースを意味し、それは失速へとつながる。
敵を知り、己を知れば百戦危うからず。
悔しいが現実を受け入れること、その悔しさは明日への糧へと変えること。
今はそれしかない。
REOくんと走っていたが、もう少しペースアップできそうなので、先に行かせてもらった。
10km地点で監督がタイムチェックしてくれた。
通過タイムは悪くない。
ラスト5km〜3kmのあたりが絶好の応援ポイント。
大勢の人の声援を受けた。
その中にお世話になった保護者の方や教え子の姿が。
さらには古巣、飯山栄のスタッフが私に声援を送ってくれた。
出走中だというのに感動で涙がこみ上げた。
呼吸が苦しくなる。
残りは約3km。
最後の力を振り絞る。
ゴールが見えた。
襷を取り、懸命にスパート。
しかしながら私の目の前で無常にも繰り上げスタート。
後17秒のところで襷を繋ぐことはできなかった。